不登校脱却
「やりがい」不登校と家庭教師(不登校)
仕事のやりがい
私にこの仕事のやりがい、素晴らしさを教えてくれた数々の生徒さんのなかで、今回はケンタ君という一人の元不登校児のエピソードをご紹介させていただきます。
平成25年夏。
その生徒と私は出会いました。
当時、私は家庭教師の仕事と同時に新規のご家庭へ訪問してジャンプについての説明をする仕事をしていていました。
中2、男子、ADHD、ゲーム依存、不登校
反抗期真っ盛り
母子家庭で父親は幼少期に他界。
初回訪問
午後2時頃でしたでしょうか。最初の訪問ではお母様が玄関に出てこられ、
「本人は今、オンラインゲームをしていて話しかけても無視する状態でして。わざわざお越しいただいたのにすみません。こんな状況ですが、どうしたらいいでしょうか」
というところからスタートしました。
以下、会話形式でお伝えします。
私「はい、せっかく来ましたし、どんな様子か見たいので、少しだけおじゃまさせてもらってよろしいですか?」
母「はい、お願いします。本人もしかしたら一切しゃべらないかもしれません。12時過ぎに起きてきてからずっとヘッドホンしてゲームしていまして。」
私「もちろん全然大丈夫ですよ。お母さん。」
(玄関あがって本人の部屋をノック→反応なし)
私「おーい。ケンタ君(仮名)。返事ないけど入るよー!ドア開けるねー」
そしてドアを開けると、ヘッドホンしてゲームに夢中のケンタ君の姿が。
話しかけても完全無視です。
私は(もしかするとひと区切りがついたらこっちに反応してくれるかもしれない。これは我慢比べだな)と判断し、そこから20分程、無言で横に立ってゲームの様子を見ていました。
そして30分後。
本人がヘッドホンを外してこちらをチラリと見ました。
私「 ゲームは終わったかな? 」
ケンタ君(無視)
私「 うんいいよ、いいよ 」
ケンタ君、再びゲームへ。
15分後、本人がヘッドホンを外す。
私「もう終わったかな? 」
ケンタ君「何の用?」
私「 ごめんね、急に。少し話をしてもいいかな? 」
ケンタ君「別に、、、。」
しばらくまたゲームへ。
私「また来るから!」
訪問2回目
私「やあー元気してた?先生のこと覚えてる? 」
ケンタ君「・・・何の用? 」
ケンタ君、ゲームしながら目を合わせない。
私「 ケンタ君と一緒に勉強したいと思って! 」
ケンタ君(無視)
私「 別に、たくさんやろうって訳じゃないんだ。10分だけでもいいからさ! 」
ケンタ君「やっても無駄だし」
私「そっかあ、、じゃあゲームの話でもしようよ」
ケンタ君「いや、眠いから。」
私「そっか、そっか。また来るから!」
ケンタ君「勝手にどーぞ。来ても無駄だけどね。」
訪問3回目
母「すみません。今、寝起きでして、、本人機嫌が悪いと思います」
私「そうですか、、日を改めた方がいいですか?」
母「せっかくお越し下さったのに申し訳ありません。先生が嫌でなければ、息子と話だけでもしていただけますか?」
私「かしこまりました。ケンタ君と話してきますね!」
数分後、ケンタ君はまた寝てしまい話ができず。
訪問4回目
私「ケンタ君、こうしようよ!今、中学二年でしょ。中1,中2、中3の計算分野を年内に一気に完成させるの!どう?」
この言葉にケンタ君はピクッと反応しました。
ケンタ君「は?そんなのできないっしょ笑」
私「できないと思ってやってみてクリアできたゲームってない?」
ケンタ君「、、、あるけど?」
私「同じだよ!信じてみない?先生はゲームは疎いけど、こと勉強に関してはプロだから、できないと思ってやってみてクリアさせること、できるんだけど」
ケンタ君「マジで言ってるの?笑」
私「冗談でこんな話、しないからねぇ。マジなんだよね、これが。どう?あと三カ月で因数分解ってやつをできるようになる!」
ケンタ君「、、、うん。いいけど」
私「じゃあ決まり!!よーし!では今から15分だけ、やろう!!」
『三カ月で因数分解をマスター』
という短期目標ができたことで、そこからは、15分、20分、30分と毎回少しずつ勉強時間が長くなっていきました。
もともと数学と国語は学力もあったこともあり、
11月の4回で中2多項式を完成
12月最初の1回で展開公式
2回目と3回目で因数分解!
4回目に二次方程式の解法と、予定よりも更に進むことができました。
私「はい!!これで因数分解は完了!どうだい!出来たでしょ?」
ケンタ君「まあね!」
9月→10月→11月と過ごすなかで、本人も勉強が(数学だけだけど)充実している、と実感できてきたのでしょう。表情がどんどん明るくなっていき、毎回笑顔を見せてニュースの話やオンラインゲームの話も雄弁に語ってくれるようにもなりました。
年が明けてからも
ケンタ君「三年なっても関数はあるんでしょ?だったら進めていこうよ」と本人から先取りを希望するようになってくれました。
中3春休み
数学で学校よりも先に進んで勉強できていることが自信にもなったのか、「定期テストは受ける」と言ってくれるようになり、始業式がきました。
中3の4月
定期テストは受けると言ってくれたけど、普段の学校には通えるようになるのか、それとも今までのように不登校が続くのか、お母様も私も非常に不安でした。
しかし、始業式から、なんと学校へ登校できるようになってくれました。
とはいっても、遅刻気味の日々でしたが。
この頃に、本人が「なんかゲームも飽きてきた」と言うようになり、その代わり昼夜問わずよく眠るようになりました。
お母様も私も、ゲームばかりしているよりは、まだ眠るほうが身体にはいいですね、ということで状況は良くなってきているという認識を持つようになりました。
そこからはたまに学校を休むことはありましたが、ほぼ登校はしており、家庭教師の指導も数学と国語を順調に進めていくことができました。
当初の不登校、ゲーム漬け、反抗的態度、の状態から脱却し、登校して、ゲームも控えめになり、態度も柔らかくなったことはお母様も感動されていましたが、なにより本人が自分が変わったことを一番感じていたと思います。
中3の夏→秋と月日が流れ、中3の12月
進路について考えないといけない時期がきました。
本人もお母様も電車で20分ほどの場所にある私立高校の単願を希望され、学校側もそこなら大丈夫、ということで志望校は確定しました。
そして、翌年、無事に志望校へ合格しました。
高校に入ってからも、週に1回家庭教師として勉強のサポートをしてほしいという要望をいただき、引き続き私が担当していくことになりました。
高1の春
無事に高校へ入学はできたものの、ゴールデンウィーク明けあたりから、「通うのがめんどくさい」という理由で学校を休みがちになります。
友人関係や先生と何かあったのか、それとも他に行きたくない理由があるのか、とても心配でいろいろたずねましたが、「別にそういうのは何もない」ということでした。学校にお母様が問い合わせても、「クラスでは特に目立つことも浮くこともなく、かといって友達がいないわけでもなく、普通に過ごしている」ということでした。
高1の夏
7月頃になると、もう完全に学校へは行かなくなってしまいます。
理由は依然わからないまま。
しかし私の指導だけは決して休まずに毎週必ず受けてくれていたので、高校へ行けない状態が続いていましたが、関係は変わらず楽しく授業は続けていました。
高1の秋
ケンタ君「先生、あのさ、、」
私「どした?」
ケンタ君「学校、辞めたいんだけど、どう思う?」
私「辞めてどうしたいの?」
ケンタ君「わかんない。」
そこから、私は辞めることのメリット、デメリットの話や、辞めた場合の選択肢、そして私自身の高校や大学時代の苦悩、経験談など過去の話を毎回していくことになります。
そこには、少しでも自分なりの経験や考え方が彼に伝わってプラスの方向に向かってくれれば、、という期待であったり、これまでの教師としての立ち位置とは別角度で私自身の人間的な弱さや葛藤などもそろそろ話してあげていい時期なのでは、と思ったからです。
そういうことも理解できる年齢にケンタ君はなってきている、と私なりに判断したわけです。
高1の冬
彼がこれからどこに進むのか。様々な選択肢がありました。
そのなかで通信制高校の提案をしたところ本人も興味を持ってくれました。そこで、一緒にいくつかの通信制高校を見学に行き、「ここならいいかも」という通信制高校を見つけることができました。
このまま不登校が続いても、、、ということでお母様も同意くださり、第一候補の通信制高校へ入ることが決まりました。
そして翌年の4月から、通信制高校での通信コースが始まります。
高2の春
私の家庭教師としての指導も、今までのような数学と国語ではなく、完全に通信制高校のレポートのフォローとなりました。
ADHDの特性ゆえ、「期限までに」「コツコツやる」ということができないため、こちらが9科目あるレポート課題の日々のスケジュールをフォローしていきました。
高2の夏
このあたりから少しケンタ君に変化が。
今までは私に対してタメ口だったのが、少しずつ敬語で話してくるようになったのです。本当に少しずつですが、会話の一部分が敬語になってきて、7月→8月→9月と経て、秋にはほぼ敬語で話してくるようになります。
彼が敬語を意識的に使うようになった理由。
実は一つ、私なりにコレ!という理由がありました。
ケンタ君、実は6月からスーパーでアルバイトを始めていたのです。
私は一年程前から、自身の大学時代のアルバイト話を彼にちょくちょくしてきました。
対人コミュニケーションや社会の厳しさなどを学ぶ絶好のチャンスがアルバイトにはあること、未経験だからこそ迷惑かけたり叱られたりすることもあるけれど、それらは必ず良い経験としてのちに活きてくること、お金より大切なことをたくさん学べること。
だからアルバイトはしたほうがいい、するべきだ、と雑談レベルですが何度も話してきました。
それが一つのきっかけになっていたのだと思います。
最後にバイトの話をしたとき、
「手始めにスーパーあたりでアルバイトしてみたら?」
と話したことを思い出しました。
初めてのバイトがスーパーマーケット。スーパーには自分より年上の先輩や社員さんばかりです。
そして接客業ですからお客様を相手に話す機会を持たなければなりません。自然と敬語も身についたのだと思います。とても素晴らしいことです。こちらの想像を超えた武器を彼は獲得していました。
そんなある日。
ケンタ君「先生、あのさ、俺ね、大学に行きたいなって思うんですけど、行けますかね?」
正直、びっくりしました。
一瞬、何が起こっているのか、わかりませんでした。
中学
登校→不登校→少しずつ登校
高校
登校→不登校→退学→通信制高校
ときて、いきなりの大学進学の話です。
私「オォ-!当たり前じゃん!行けるよ!問題があるとすれば一つだけ!そのたった一つの問題さえクリアすれば、間違いなく大学へ行けますとも!」
ケンタ君「なんですか?その一つだけの問題って」
私「英語です。」
ケンタ君「あ、なるほど。納得しました笑」
私「英語、全くやってきてないし、できないよね?」
ケンタ君「はい」
私「中学英語の基礎から大学受験レベルまで、今から英語の勉強していく覚悟があるなら、ね」
ケンタ君「やります。」
私「ほほう。ところで、行きたい大学あるのかな?」
ケンタ君「有名な大学がいいです。早慶まではいかなくても、マーチとか、日東駒専とか」
私「オォ-!いいねえ!いいよ!ケンタ君!やろう!目指そう!行こうよ!うんうん!先生は実は英語の指導が最も得意だからお任せあれ!」
ケンタ君「え!そうだったんですか!じゃあ、、、よろしくお願いします。」
この時、マーチや日東駒専なんて学力的には全く及ばず、高校教科書レベルが何とかわかる程度だったので大学に合格なんて無謀でしたが、せっかく本人が目標をもってくれたので、一切否定的なことは言いませんでした。
もしかしたらケンタ君自身が、一発逆転をしたいと思い難関大に行きたいと思ったかもしれません。ここがターニングポイントだと思いました。
ケンタ君「僕でも受かりますかね」
私「うん!もちろん、がんばれば大丈夫だよ!でも、、どうしてマーチ志望、最低でも日東駒専以上なの??」
ケンタ君「うーん、、なんていうか、、やっぱり知名度も偏差値もそこそこ以上じゃないと先生の教え子として申し訳ない、、みたいな笑」
私「お!言うねぇ笑!ところで、この話ってお母さんにしてあるの?」
ケンタ君「ううん。今初めて先生に言いました。」
私「そっか笑。じゃあまずは今夜にでも自分からお母さんに言ってごらん。」
ケンタ君「はい!」
そしてお母様も勿論、大変感激され、応援してくださることになります。
高2の秋
このあたりから、通信制高校のレポート提出はケンタ君が一人でやることになり、私の授業は大学受験に向けての英語と数学になりました。
自分で高い目標を見つけてそこを目指して勉強をする、これが本人を変えました。
中学の時と別人のように、いろいろ前向きになってくれるようになりました。
一番はお母様との関係性です。まだまだ反抗期真っ盛りと思っていたのが、大学受験という目標を見つけてからは、お母様への口調や態度もものすごく丁寧で優しくなったのです。
こんなに変わるのか、、、と私が一番驚いていました
順風満帆に思えた高2の11月
アルバイトもこの頃まで続いていた、ある日。
ケンタ君「先生、バイト辞めました。」
私「え?そうなの?なんで?」
ケンタ君「お金たまったからです。このお金でパソコン買いました。」
私「えー!パソコン!?そうだったのね。で、どうするの?」
ケンタ君「ゲームします。あ、もちろん勉強もしますよ」
いきなりのゲーム始めました宣言にたじろぎましたが、まぁ勉強は続けていくということでしたし、アルバイトを頑張れたのもこのパソコン購入という目標があって、それを達成できたわけだから、ということで、理解を示すことにしました。
そこからはゲーム(中学の時と同じオンラインゲームです)のせいでたまに学習意欲が下がることはあったものの、その都度、話を聞いてあげたり、ゲームの話や入学後の大学生活の話をしたりしてモチベーションをなんとか保たせていきました。
高2の冬
ゲームは相変わらずしてはいますが、この頃に初めて模試を受けさせました。
漠然と自分一人で頑張ってきてきた世界に競争相手が現れて、彼の中で再び勉強へのスイッチが入ります。
少しずつ模試の偏差値も上がり、
河合塾の初めての模試で数学が50を超え、中学レベルから苦手だった英語の偏差値も40代後半になってきました。
高3の夏
高2の冬からここまで、自宅学習時間が日を増すごとに増えていき、夏には毎日8時間はやるようになりました。
そして夏の模試では英数国の3科偏差値が55を超えます。
そこからは志望大に沿った授業プランへ。
高3の9月
ここからの彼は本当に輝いていました。
目標もなくオンラインゲームに没頭していた4年前の彼とは別人です。
外部模試の偏差値や合否判定を少しでも上げるために、少しでも大学合格可能性を上げるために、毎日毎日努力をし続けるケンタ君。
高3の10月
私「そういえば最近、英単語の暗記量とか数学のチャート式の演習量とかだいぶ増えてきてるけど、オンラインゲームもやってるの?」
ケンタ君「あぁ、、ゲームか、、。なんか、、、忘れてた」
私「え?忘れてた??」
ケンタ君「ゲームの存在を忘れてた笑。なんかね、ライバルはもっとやってるって思うとゲームどころじゃないというか、、、」
泣きそうになりました。
いえ、少し泣きました。ケンタ君に気づかれないように。
もともとゲームにはまってしまい不登校になり、人付き合いが苦手な彼がゲームをするための新しいパソコン欲しさにアルバイトまで始めて、、、そこまでして熱中していたゲームよりも夢中になれるものを見つけてくれた。
大学合格という目標を。
そして、そこに向けてひたむきに努力をしている姿が今、目の前にある。
そこに私が関われて、少なくとも何かしらの影響を与えていたのであれば、きっとそれは彼にとって良い影響だったんだな、と思えて嬉しくて嬉しくて、泣きました。
高3の冬。入試直前
もうこのあたりになると、彼は志望校合格へ向けてひたむきに勉強し続ける優秀な受験生以外の何者でもありませんでした。
私が何かを指示したり提案することはもうなくなっており、あとは温かく応援するだけでした。
高3 入試
見事、目標としていた某有名私立大学合格を勝ち取ることができました。
大学1年夏
4月以降も何度かメールで連絡を取り合っていましたが、直接会って話す機会がなかったので、久しぶりに会おう!と食事に誘いました。
そこで入学後のサークルや授業の話を聞くことになりました。
過去に仲良く遊ぶ友人など殆どいなくて一人ゲームをするしかなかった彼から、最近はサークル仲間とご飯をよく食べに行く話や、大学の講義の話、ひとり暮らしを始めたばかりで毎日が楽しくて仕方ないといった明るい話ばかり聞くことができて、本当に良い方向に向かっていてくれていることがわかり、安心しました。
大学2年春〜冬
それからも半年に一度くらい、近況報告程度にメールでやりとりを数回してきました。
大学3年夏
本人から「先生、俺もう成人だからお酒飲めるよ!飲みいこーよ!」とお誘いのメールがきました。
そして二人で飲みに行くことに。
場所は新宿にある、こじんまりとした焼き鳥屋さんでした。
そこで、ケンタ君は大学を目指した本当の理由を私に話してくれました。
ケンタ君「実は先生と何年も毎月毎週会ってきて、その家庭教師の授業で勉強だけじゃなくていろんな話ができて世界が広がったていうか、、少し大げさなことですけど、、」
私「うんうん」
ケンタ君「何ていうか、、先生みたいに、人に影響を与えられるような仕事をしたいな、というか、そういう大人になりたなって、、、。
それならまずは大学に行かなければと思ったんです」
私はケンタ君から、その言葉を聞いた時、とても驚きました。高3の秋にゲームを忘れるくらい受験勉強に熱中していると聞いたとき以来の嬉し涙が頬を伝わりました。
人に影響を与えられる仕事
生徒の将来への希望や目標を示すことができる、その子の人生に関われる仕事
彼の言葉は私がこの仕事をしていて何度も悩んだりくじけそうになるとき、いつも背中を押してくれています。
この仕事のやりがいは、一人の生徒の成長を見れることや、また一つの出会いから生徒の人生を変えることができる、そして自分自身も教育者として、人として、成長ができる、ということにあると思います。
私は教育を通じて、人のために尽くしたいと思っていましたので、この仕事はその思いと真正面に向き合える仕事であると思います。
現在の仕事
私は現在、主な業務として幼児・低学年の指導と幼児教育の教材開発・教材研究をしております。
対象とする生徒さんは、発達障害だけでなく、軽度〜中度の知的障害を持つ子供やダウン症の子供、場面緘黙症の子供など、多岐に亘ります。
落ち着きや集中力がまだまだ備わっていない幼児や学習面で困難を抱える知的障害児、言葉を発することができない場面緘黙の子供を相手に、いかに楽しくて実りある学習指導ができるか、接し方から使う教材に至るまで、様々な研究開発をさせていただいています。
そして、そのような生徒さんでも日々、指導内容を研究し工夫した教材で指導をすることで、当初は非常に厳しいといわれていたたし算やひき算のくり上がり、くり下がり、お金計算、ことばや漢字の読み書きが実際にできるようになってくれたりします。
小学1年生で数字が書けない中度の知的障害の生徒さんを以前、担当させていただきました。
1から3までの数字を書けるまで3カ月、1から10まで書けるまで1年かかりました。
この過程の中で4つのステップを踏みました。
- 一緒に生徒の手をもって書く
- 生徒の手首を持ちながら、添えるように支えて書かせる
- 手を放して書かせる。(例えば鉛筆にクリップを挟んで持ちやすくするなど工夫を取り入れながら)
- 書けた瞬間に褒める
このステップを踏むことで、生徒にも「できなかったことが自分一人で出来た」ということが伝わります。そしてこの作業を繰り返す中で必ず書けるようになります。
時には、お母様から、こんな教え方があるのですね、とビックリされたり、指導中に新しい教え方を発見したり日々充実しております。
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